年末になると聞く機会が多く(?)なる,ベートーヴェンの交響曲第九番の『歓喜の歌』の歌詞の一節についてです。
Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium,
Wir betreten, feuertrunken,
Himmlische, dein Heiligtum!
この一節の 3-4 行目に対する訳や解説として,次のような内容を掲げているものが時折*1見られます。
Wir betreten, feuertrunken,
Himmlische, dein Heiligtum!
私たちは陶酔して,汝の崇高なる聖所に立ち入る!
ですがこの解釈は明らかに文法的な誤りを含んでいて,適当に単語を拾って読んだ誤訳と言わざるを得ません。
呼格
印欧祖語には呼格という呼びかけに使われる格が存在し,現代でもブルガリア語・現代ギリシャ語など一部の印欧語に残っています。
Борисе, къде си?
ねぇボリス,どこにいるの?
ドイツ語では独立した格としてはとっくに絶滅していますが,主格が代わりにその役割を担っています。よってこの歌詞における Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium はすべて歓喜に対する呼格と読めます。「歓喜よ,美しい神々の火花よ,エーリュシオン*2から来た娘よ」という呼びかけですね。
その流れで Himmlische, dein Heiligtum を読めば,この Himmlische が Heiligtum にかかることはありえず*3,himmlische Freude 「天上の歓喜よ」(あるいは himmlische Tochter)という呼格のフレーズから名詞を省略したもの*4であることが分かります。
訳
というわけでそれっぽく訳すとこうなります。
Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium,
Wir betreten, feuertrunken,
Himmlische, dein Heiligtum!
歓喜よ,美しき神々の火花よ,
エーリュシオンより来たる娘よ,
天上の存在よ,我らは火のごとく陶酔して*5
汝の聖所に足を踏み入れる